人の手のぬくもりがあるものに心惹かれる
リビング用品のバイヤーとして、長く暮らしまわりのモノに向き合ってきた相馬さんが暮らすのは、都内のヴィンテージマンション。
相馬さんは生活空間におけるアートを、食器や家具などと同じ感覚で捉えているという。
「画一的につくられたモノより、どこかに人の手のぬくもりのあるモノに惹かれます。椅子や食器、時計などにはもちろんすべて、それぞれの機能が与えられているわけですが、それではデザイン性を排除した機能のみを果たすモノだけに囲まれていたいかというと、そうではないはずです。そう考えると、『暮らしを共にする』モノはアートと同じく、自分が心地よく、心豊かでいるためにあるのではないでしょうか」
「Yチェアの限定色企画」「マルニ木工の節あり家具、HIROSHIMA」「若宮隆志×葉山有樹」「nendo×バカラ」など、多くのデザイナーや工房のコラボレーション企画によって、魅力的なプロダクトを生み出してきた相馬さんの言葉は揺るぎない。
「どこかで心惹かれるモノに出会うと、どこにどのように飾ろうなどとはあまり考えず、“連れて帰る”パターンが多いですが、部屋をリフォームした際、この壁だけにはきっちりと何か大きなものをと思い、田上允克(たがみまさかつ)さんのこの絵を購入しました。田上さんは毎日平均3~7枚ほどの絵を自由闊達に描き続けている方です。この作品は梱包紙に使うような紙の裏に描かれたもので、質感が残っている素朴な雰囲気が好きです。友人に、この絵があることで“部屋がきれいに見える”と勧められました」
本人にとって価値があれば、価格の高い安いはまた別のこと
相馬さんが最初にアート作品を購入したのは、伊勢丹に就職した翌年のことだった。
「アート作品といえるかどうかわかりませんが、輪島塗の椀の5客揃を、当時の給料2カ月分くらいの額で買いました。先輩から『この作家が作れなくなる前に買っておきなさい』と勧められて。今見てもいいなぁと思います。特に人間国宝の方だったりするわけではないのですが、僕としてはそういう客観的な価値はあまり気にしません。仕事柄、高価な家具・雑貨を多く扱ってきましたが、既に定まった価値のあるものではなく、本人にとって価値があれば、金額の高い安いは関係ないと思っています」
さらに、「家はホテルでもないし、見せるための空間でもないので、セオリーやこだわりはさほどありません。ショールームのようにスキのない完成されたスペースではなく清潔でさえあれば、整然としすぎないほうが、気持ちが落ち着きます」と続ける。
「お客様にも、お住まいを一気に完成させようと思わず、足したり引いたりしながら、暮らすことそのものを楽しむようご提案しています。もちろん、モノの資産価値を求めるのもひとつの考え方ではありますが、なるべく思い入れのあるもの、自分との縁や物語があるものを身近に置かれることをお勧めしています」
グラスキャビネットの上には、世界各地の旅先で出会ったものとともに、ドローイング、コラージュ、刺繍やプリントなど、さまざまな手法で創作活動をするアーティスト・ミズタユウジのタブローが。ショッキングピンクが部屋全体の差し色として効いている。
「仕事を通じて知り合ったミズタさんはユニークなアーティストです。ヴィンテージなものが多く集まっているここに、ちょっとしたアクセントが欲しくて、ヴィヴィッドなピンクのタブローをそっと置いてみました。右のほうの“welcom…”と書いてある箱は、アートディレクターの八木保さんからいただいたものです」
相馬さんにとって心地よい空間とは、「想い出とともにある場所」という側面がある。何を見ても、誰かを思い出し、あの時の記憶が甦る、まさに「時の集積」といえる空間なのかもしれない。
一番の贅沢は“時間を買うこと”なのかもしれない
「時の集積」ということで言えば、書棚に置かれていた、染色家・志村ふくみの額装された小裂(こぎれ)や、廊下に飾られていたインドの刺繍などは「時の集積」そのもの。
「値段にかかわらず、ひとりの人の手から生み出された一点もの、オリジナルのものというのは、時代が移り変わっても価値のあるものだと思います。このインドの刺繍は、KANTHA(カンタ)と呼ばれる刺し子で、今ではここまで精緻なものをつくれる人はいないそうです。インドへ出張した際に地元のギャラリーで買いました。これもまたアート作品といえるかもしれません。一番の贅沢はやはり時間を買うということではないでしょうか」
相馬さんがモノに目覚めたのは、大学生時代、友人の母親が営んでいた小料理屋で、アルバイトをしていた頃だったそうだ。
「四谷のしんみち通りにある家庭料理の店だったのですが、アルバイトの僕にさりげなく抹茶碗でコーヒーを出してくれたり、菓子パンを食べるにもクラフト作家の皿に置いてくれたり……。意外な掛け合わせで素敵な“おやつ”になり、“美味しく食べてもらうためのモノと人への気遣い”を経験したように思います。接客も楽しかったですね。社会に出ても、とにかく人と関わる仕事をしたいという希望が芽生えました」
入社当初からリビング・家庭用品を希望した相馬さん。婦人服がメインの会社ではかなりの少数派だったようだ。当時の伊勢丹においては、成長途上にある部門でのスタートだった。
モノは物事を考えさせてくれる入り口となり得る
「1990年頃まで、洋服は伊勢丹で買っても、家具や雑貨は別の店でという方が大半だったと思います。伊勢丹リビングに足を運んでいただくために、伊勢丹にしかないオリジナルのプロダクトの提案は急務でした。百貨店という性格上、多くのクリエイター、デザイナー、ブランド、メーカー、ファクトリーとのネットワークがあることを生かして、さまざまなコラボ企画を行ったり、DESIGNTIDE TOKYO(デザインタイドトーキョー)のエクステンション会場として参加するなど、インパクトを与えながら、伊勢丹のリビング部門の認知度を上げていきました」
それぞれのプロジェクトを通じて知り合ったアートディレクターやデザイナー、クリエイターの方々の思想やクリエイティビティから、多大なる刺激と学びを得たという相馬さん。nendoの佐藤オオキさんとも、2014年のBaccarat(バカラ)創設250周年を記念した企画で知り合った。
現在nendoではデザインディレクターという肩書で、企画やデザインのマネジメント、国内外のエキシビション出展の準備、伝統工芸とのコラボレーション、顧客への住まいやライフスタイル全般の相談を担う一方、日本のモノづくりメーカーのブランディングの提案、講演、そして京都造形芸術大学の学生と多忙を極めている相馬さん。その心の内にあるのは「暮らしを楽しめる人が一人でも増えたら」という思いである。
「日々モノに囲まれて暮らしている私たちですが、モノを通じて何かしら喜びや安心感があればいいなと思います。nendoのプロダクトにはどこかに遊び心や哲学的な示唆があり、モノがモノで完結せず、物事を考えさせてくれる入り口となり得るのではないでしょうか」
プロダクトと現代アート、機能の有・無の差はあっても、自分らしく暮らす場所にはなくてはならないモノ。住まいのプロフェッショナルが教えてくれた「手のぬくもりのあるもの」「それぞれの価値」「モノは思い出とともにある」などのキーワードから、暮らしとは、アートとは何かについて考え続ける、相馬さんの視座がうかがわれた。
profile
株式会社三越伊勢丹所属。デザインオフィスnendoデザインディレクター(出向)。1991年伊勢丹入社。家庭用品部門、特選和食器・趣味雑貨、家具バイヤー、リビング商品部長、伊勢丹浦和店営業統括部長、株式会社三越伊勢丹研究所取締役、株式会社三越伊勢丹プロパティ・デザイン取締役などを経て現職。