最近、アナログレコードの人気が復活している。もっとも、1970年代あたりの最盛期のマーケットと比べられるほどのものではないようだが、カルチャーな趣味としては定着した感がある。一つのアート作品として楽しめるようなジャケットもあるし、内封された歌詞カードなどに掲載されたライナーノーツ(解説文)を読んでアーチストや作家の知識を深めることもできる。近頃はレコードプレーヤーも割とたやすく入手できるようになったし、使ったことのない世代でも簡単に操作できるのがブレイクの要因かもしれない。
とはいえ、街なかからレコード屋という店舗は徐々に少なくなっている。ひと頃はどこの街にも「〇×レコード」とか「〇×楽器」あるいは「〇×無線」とかの看板を掲げた一軒家のレコード店があって、とくに買うわけでもなく散歩の途中にふらっと立ち寄ったりしたものだ。そんなわけで、ここでは僕の思い出のつまった東京のレコード屋の話を書いてみたい。
音楽とのさまざまな出合いがあった、新宿や銀座のレコード店
幼少の頃、親に買ってもらった童謡やTVマンガのソノシートを入れた袋に「コタニ」と記されていたのを覚えているが、このコタニは新宿伊勢丹の向かいあたりにあった店だ。とはいえ、こういう幼少期のレコード話でふくらませてしまうと紙幅が尽きそうなので、思春期以降に針をずらすと、新宿では紀伊国屋書店の2階エスカレーター際にあった「帝都無線」は中学に上がる頃からよく立ち寄った。1969年頃、聴き始めたラジオの深夜放送で知った岡林信康や高田 渡のURCレコードのシングル盤がここにはそろっていて、ワクワクしながら物色したのを思い出す。西口の地下広場で反戦フォーク集会をやっていた時代だ。
中学は三田にある慶応の付属中だったので、浅草や人形町のほうの友だちと学校帰りに都営地下鉄に乗って銀座に寄り道した。銀座には「ヤマハ」「十字屋」……いくつかのレコード屋があったが、最も贔屓にしていたのが和光の横の「山野楽器」。ちなみにパンの木村屋、楽器・レコードの山野楽器、真珠のミキモト、という3軒の並びは手元にある昭和4年の店舗地図(大日本職業別名細図・京橋区)の時代から変わっていない。
山野楽器はいまも健在だが、上階の狭いフロアーに移ってしまったレコード売り場が70年代当時は1階玄関にショーウィンドーを見せて、堂々と広がっていた。歌謡曲など邦楽系(落語や浪曲も……)も充実していて、ここでデビュー早々の夏木マリ(中島淳子の名だった)のキャンペーンに遭遇、「小さな恋(リトルラブ)」というデビュー曲のポスターにサインをもらって帰ってきたのをよく覚えているが、中学生の僕らの目当ては深夜ラジオを通して興味を持ち始めた洋楽系(フォーク・ロック)のアルバムだった。日本盤が出ていない輸入盤もけっこう入っていて、とくにCSN&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)の周辺のものをここでチェックした。
銀座近辺でいうと、数寄屋橋のガードの向こうの日比谷で洋画をよく観るようになったのもこの時期だった。いまの日比谷シャンテのところにクラシック建築の日比谷映画劇場が立っていて、尖塔をのせたシンボリックなファサードも印象的だったが、その脇から劇場の外縁を回りこむような迷路じみたアーケード街があって、その入り口に小さなレコード屋があった。70年代の初めは映画のテーマ曲や劇伴(げきばん)をフューチャーしたサントラ盤が大流行していた時期だから、映画を観た後にここでその種のレコードを漁った。アーケードの奥のほうにアメリカンムードのゲームセンターがあって、ピンボールに何度かトライしたので、村上春樹の『1973年のピンボール』を読むとこの場所が思い浮かぶ。
最先端の洋楽なら御茶ノ水、渋谷、原宿
輸入盤探しでは、御茶ノ水界隈の「ディスクユニオン」にもよく行った。ユニオンはいまも御茶ノ水や新宿に何軒かあるけれど、当時訪ねた駿河台近くの店はビートルズのブートレク(海賊版)の宝庫とされていて、僕は買わなかったが、サッカー部のマニアックな男が購入するのを横目で見ていた。駿河台下のあたりはスパイクなどのサッカー用品を扱うスポーツ店も多かったのだ。
渋谷は「タワーレコード」や「HMV」が出店する以前、西武B館の地下1階「Be・in」フロアーにあった「ディスクポート」とか、後年の東急ハンズ北側の路地裏の「シスコ」をはじめとする小店が洋楽輸入盤採集の定番地だったが、大学生の頃からの僕が渋谷よりも頻繁に通ったのは原宿・竹下通りの「メロディーハウス」という店だった。
竹下通りのやや明治通り側の口に近いところにあった2階建て一軒家の店で、建物自体はいまも別のテナントとなって残っている(原宿は以前「東京カルチャーストリート」の連載で取りあげたが、ここはうっかり書き忘れた)。この店は、大滝詠一のラジオ番組「ゴーゴー・ナイアガラ」で流れるようなアメリカのオールディーズ・ポップスが充実していて、ザ・ロネッツなどをプロデュースしたフィル・スペクターの周辺の輸入盤を探し集めた。
そう、輸入モノのアルバムでよくあるのが、硬質の紙のジャケット両面にぴっちりとビニールがコーティングされているタイプ。溝というか、口のところに少し伸びたツメの先を当てて、シューッと封を切る時間のゾクゾク感が忘れられない。封口に鼻を付けると外国(イメージとしては米英)っぽいニオイが仄かに感じられて、幸福な気分になった。
青春時代に足繁く通った目白のレコード店
こういうオシャレタウンの輸入盤レコード店としては、南青山の骨董通り横道に「パイド・パイパー・ハウス」、六本木ヒルズができる以前に六本木通りの一角にあった「WAVE」……などが思い出されるが、僕の青春時代の音楽光景がとりわけ色濃く刻まれているのは目白の店である。
僕が当時暮らしていた生家は、現在の落合南長崎近くにあって、目白駅まではせいぜい2キロくらい。バスが通る目白通りの途中に「目白堂」という一軒家のレコード屋があった。洋館風の建物で、ガラス張りの玄関戸の傍らにトランペットなんかが飾られていたはずだが、この店がシャレていたのは通路の傍らに応接間のような仕立ての視聴室が置かれていたことだ。よく通ったのは70年代中頃の高校生の時期で、ガロや荒井由実時代のユーミン初期のアルバムはこの素敵な視聴室で聴いて買った……という記憶がある。
戦後すぐの頃からの古い店で、トキワ荘にいた頃の赤塚不二夫と石ノ森章太郎が目白堂の美人の女主人を目当てに通った……なんて話を赤塚氏のエッセーで読んだことがあるのだが、実は高校生の僕がしばしばここを訪れたのは、ニューミュージックのLPだけが目当てではなく、そのマダムの娘さんと思しき美少女がカウンターに立つことがあったからなのだ。
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1956(昭和31)年、東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。『週刊TVガイド』等の編集者を経てコラムニストに。主に東京や昭和、カルチャー、街歩きなどをテーマにしたエッセイを執筆している。近刊に『「冗談画報」という楽しい番組があった』(三賢社)。


