創造のプラットフォームとしての住空間
今回、グエナエル・ニコラさんが手がけたのは、221㎡もの広さがある集合住宅の一室のリノベーションだった。以前の間取りを一新し、エントランスからリビングダイニング、そしてプライベートスペースへと劇的にシーンが変化する住まいは、数々のアートやデザインで彩られている。ニコラさんは語る。
「プロジェクトが始まってから、この歴史ある建物を訪れて、実際に物件を見ると、絶対にひとりじゃできないと思ったのです。私がプラットフォームを用意し、キャンバスにみんながアイデアを持ち寄って、つくり上げていくべきだと考えました」
須藤玲子さんと土屋秋恆さんはじめ、かかわった作家やメーカーは総勢14組。芸術家、デザイナー、工房など各ジャンルのエキスパートが集結することになった。
「どのコラボレーションもエナジーを大事にしたのは同じ。こちらのやりたいことを100%説明して、相手にも100%のものをつくってもらう。それを足して200%のものにしたいから。50+50で100%では足りないのです」
水墨画家の土屋さんが担当したのは、この部屋のエントランスに設置された大型の墨絵の作品だ。ニコラさんからのリクエストに応え、約2m×1,8mもの手漉き和紙の上に、大きな筆を一息に走らせたという。
「エントランスの正面にこの作品があり、左側に鏡があります。鏡に映ったものと1つにつながって見えるものが欲しいと、ニコラさんに言われました。住む人がエネルギーを感じるようなものにしたいという話もありました」と土屋さん。墨絵ならではの濃淡を生かし、大胆にうねるようなモチーフを描き切った。
「作品はバックライトで照らし、墨の透明感によって普通の紙よりも立体的に見えるようにしました。鏡には空間を広く見せる効果もあります。実際の広さ以上に気持ちのいい空間になりました」とニコラさんは話す。
テキスタイルデザイナーの須藤さんは、主にメインベッドルームの壁紙などのデザインを手がけた。この物件において、100㎡以上の広さがあるリビングダイニングは、友人たちを招くパブリックな空間と位置づけられている。それに対して、長めの廊下で隔てられた寝室は、あくまでプライベートな空間。「私のデザインはシャープだから、玲子さんのコクーン(繭)のようなテキスタイルが見事なコントラストを生み出しました」とニコラさんは説明する。
「この壁紙には和紙を使っています。和紙は何かの作品の素材や下地として重要ですが、あまり主役にはなりません。それをあえて表に出そうという発想です。ニコラさんと話していると、レイヤーとか、コントラディクション(矛盾)とか、いろんなキーワードが出てきます。それに対してどんな答えを出すか。壁紙の機能もふまえてデザインしていきます」と須藤さんは話す。和紙は呼吸する素材だから、接着も面や線でなく点で行った。化学繊維は堅牢で高性能だが「光を弾く」ため、落ち着きを重視する空間には不向きだという。
日本のプロジェクトだから冒険できる
リビングダイニングのスペースで印象的なアイテムに、京都の工芸家たちとコラボレーションした一連の道具がある。京塗りのボックス&トレイ、木桶を応用したワインクーラー、金網のバスケットなどだ。いずれもフォルムはシンプルだが、70度の傾きが共通している。これもニコラさんのアイデアだ。
「プロダクトはスタティック(静的)なものだけど、角度があるだけでパーソナリティが生まれ、人とコミュニケーションを取るようになります。真っ直ぐに成立しているものを傾けるなんて、みんなびっくりしたようですが、デザインはコミュニケーションがいちばん大事。プロダクトのデザインとは、形だけのデザインではないのです」
この部屋は家具もすべてニコラさんによるオリジナルで、使う時は適切な役目を果たし、使わない時は存在感を消すようにしたという。たとえばダイニングセットは、テーブルの天板の下に8脚のダイニングチェアがきっちり収まる。北海道のカンディハウスが、この物件のために制作したものだ。
シーンごとに新しいアイデアを取り入れ、多くの作家とコラボレーションして完成した、この物件。そのひとつひとつが、「ソリューション(解決策)を探したのではなく、可能性を探った」のだとニコラさんは話す。
「ニコラさんのスタジオは実験室みたいなんです。いろんな素材や照明器具などがあり、何でも実験しながら進めることができる」と土屋さん。また須藤さんは、こう語る。「こちらの提案に対して、ニコラさんからダメ出しされることも多いんです。失敗しながらやり取りしていくのは、とても楽しい」。
「今回はたくさんの作家と仕事したけど、こっちがやりたいことを伝えたら、すぐ『やりましょう』とリアクションしてくれる相手ばかりでした。すべては出会い、ハプニング&エンカウンターです」とニコラさんは応える。海外でも多くのプロジェクトを進める彼だが、パンデミック以降は現場に足を運べなくなった。リモートで意見交換し、模型やサンプルを送って作業を進めることになるが、今までの経験に基づいたアイデアでないと提案しにくいという。一方、日本でのプロジェクトは、かかわる人々がオープンマインドで触発しあい、まったく新しい何かを生み出せる環境がある。また、それぞれの分野に豊かな経験と感性をそなえたつくり手も揃っている。ニコラさんは、日本で取り組むデザインの楽しさと、その先に広がる大きな可能性を実感しているようだ。
フランス出身のニコラさんは約30年間にわたり日本を拠点に活動してきた。その上で「日本の美意識はヨーロッパとはまったく違う」と話す。
「日本では、昔のものと今のものの見分けがつきません。桂離宮の写真と現代建築の写真は、モノクロだとほとんど同じに見える。建築がタイムレスなんです。また高級なものと質の悪いものは、ヨーロッパでは一目瞭然。しかし日本では、精度が高くゴールドを使っているから高級とは限らず、ラフな焼物のほうがはるかに高価だったりします」
このような日本のオリジナリティに着目することで、ヨーロッパのデザインとは違う文脈でデザインが発想できるに違いないと、ニコラさんは考える。今回の有栖川のプロジェクトでも、和洋を超えて多様な創造性が交わって、空間にかつてない奥行きと快適さがそなわった。ここには、暮らしを生き生きとさせるエネルギーが満ちあふれている。
profile
1966年フランス・ブルターニュ生まれ。1998年キュリオシティ設立。2004年 E.S.A.G (パリ) 名誉修士号取得。インテリアデザインから、建築、プロダクトまでデザインの境界を再定義し続け、多様な企業やクライアントと共に、新製品や新素材の開発、デザインアイデンティティの創造に取り組んでいる。
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株式会社「布」デザインディレクター。株式会社良品計画アドバイザリーボード。日本のテキスタイルデザインの第一人者として活躍中で、作品はニューヨーク近代美術館をはじめ、国内外の美術館に永久保存されている。
▶︎ http://www.nuno.com/
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1974年兵庫県生まれ。水墨画家、現代美術家。古典では扱われなかった新しい“滲み”の世界「ステインアート」を独自のジャンルとして確立。ファッションブランドとのコラボやライブパフォーマンスなど、グローバルに活躍。
▶︎ https://www.shukoutsuchiya.com/