「EUGENE STUDIO(ユージーン・スタジオ)」
鈴木:今回は、東京都心から少しの場所にある、「EUGENE STUDIO(ユージーン・スタジオ)」さんにお邪魔しました。「EUGENE STUDIO(ユージーン・スタジオ)」は、現代美術作家の寒川裕人さんのアーティストスタジオ。今回は寒川さんをお迎えして、いろいろなお話を聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。
寒川:よろしくお願いします。
鈴木:木材屋さんの倉庫を改装したというスタジオは、中に入ると美術館に来たような、真っ白な空間が広がっています。
遠山:天井も高いんだけど、剥き出しの梁とか天井の木がまたいい雰囲気を出しています。ここで制作もしているんですか?
寒川:制作はもちろん、作品の実験などもしています。収蔵前の作品の、一時的な保管庫もあります。
鈴木:寒川さんと僕たちはこれまでも一緒に仕事など、いろんな場面でご一緒してきました。
寒川裕人がアーティストになった理由
遠山:寒川さんはアメリカ生まれで、途中で日本に帰ってきたんですよね。どこのタイミングでアーティストになろうって思ったんでしょう。
寒川:僕は父の仕事の関係でアメリカで生まれ、そのあと日本に戻って、小学校5年生のときに兵庫県の西宮市の夙川に来ました。この夙川は村上春樹さんや遠藤周作さんにゆかりのある場所。地政学的にも文化が生まれやすい場所かもしれません。海と山がとても近いのですが、ほかにも少し変わっていて、ちょっと山を登ると巨石群があるなど、面白い場所でした。神戸は海外居留地があったりと、独特の空気感を持つ場所です。そういう場所で過ごしていく中で、美術をと思いはじめた記憶があります。
遠山:環境が関係してたんだ。なんかもっと強烈な人との出会いとか、アメリカでの経験かと思ったんだけど。
寒川:もちろんそれもあると思います。最近実感するのは、この夙川というか、海と山が近くにあって、洋風でもない、独特で、ある意味ハイブリッドな街で暮らしたことが大きかったのだと。そのあと京都で暮らします。
寒川:それで高校生になると、美術史やデザイン史、現代美術に集中して、本を読んだり。図書館にお願いして本を購入していただいていたりしました。そのころから、数人の日本人の現代美術家の方たち、例えば村上隆さんや李禹煥(リ・ウファン)さんなど、名著を出版されていたので、現代美術の大きな輪郭を、少しですが学ぶことができたと思います。デッサンや立体など基礎的なことを行いながら、建築や映像、テクノロジー分野にも興味がありましたが、現代美術を中心に方向性を考えました。ただ、当時も少し年上に色々なアーティストがいましたが、そことは何かまったく違う形、考え方から現代美術に、ということを考えていたように思います。
鈴木:現代美術を中心に考えていたけど、違う形を模索してたってこと?
寒川:そうです。特に20代前半は、現代美術の流れの中央を見ていたら、本当の意味での美術は生み出せないだろうと感じていました。20代前半の自分の目に見えてくる現代美術は、かなりの時間を経たあとのもの。目にしたものと同じようなことをしても、数年後にはもとの作品自体が古くなっている可能性も高い。現代美術は、いつも別のところから生まれます。だから、美術だけを見ていてはいけない。全く違うことに目を向け、自分の方法でゆっくり実践していこうと、当時強く思っていました。
遠山:それで何かにたどり着いたときに、美術館やコレクター、ギャラリー、さらには鑑賞者といった現代美術側が、その考えを受け止めてくれればいいけど。
寒川:はい。とてもありがたいことに、結果的には良い形に。
遠山:ちゃんと現代美術内に着地するように計算してた?
寒川:計算という感覚ではないのですが、美術のあらゆる可能性を常に考えていたので。それに、いまある現代美術の歴史は、どれも結果的にうまくいったものが多い。アーティストも、社会に生きるひとりの人間。つまり社会の鏡、そのものにもなりえる。なので、どこかの場所や人々にピタッとはまることがあり、そこから歴史が生まれる。
鈴木:常に美術ってイノベーションじゃなきゃいけない。その大きな改革をしたのが、例えばマルセル・デュシャンやヨーゼフ・ボイスやアンディ・ウォーホルだったりするわけですよ。でも僕はこういう話をしてるときに、ちゃんと議論しておかなければいけないことがあると思ってて。それが言葉。
遠山:言葉?
鈴木:みんな簡単に「アート」「現代アート」「現代美術」って使うけど、その言葉の定義ってすごく日本では曖昧だと思いませんか?
遠山:確かに。みんな簡単に使ってるけど、その実態は曖昧な気がします。それにいわゆる「現代美術」は本来は「コンテンポラリー・アート」を訳した形にしなければいけない。
鈴木:そう、「同時代美術」「その時代美術」「いま生まれつつある美術」「いまあるべき美術」というのが本当の訳なんじゃないでしょうか。そう考えると、寒川さんがやっていることって、見る側にとっての「未来美術」なのかもしれないなって思っているんです。作品を考えて、自分を鍛えながら、アーティストとしてみんなに見せる段階で作品をつくっていると考えると。ずっとずっと温めて時が満ちるタイミングを見計らって世の中に合致する作品を出す。そうして人々に問題を提起して、議論も起こして、作品について考え、意見を持ち、委ねる。寒川さんは計算していないかもしれないけど、時代に突き刺さる作品はそうやって世に出るんですね。
遠山:つまらない翻訳に振り回されてると、その本質をよく知らないまま、なんとなく知ったかぶりでおもしろい、知ってるってなりがちなのはよくわかる。
鈴木:でもどの段階で現代美術に進もうってなったの? 本を通してだったり実際に作品を見たりと、現代美術に触れる機会があったにしても、寒川さんのことだから、しっかり何かロジカルに現代美術に進むって決めたような気がするんだけど。
寒川:ひとつの契機には、高校時代に、『VICE』というカナダの当時ものすごく尖っていたカルチャー雑誌を読む機会があって、あるときレイ・カーツワイルという人工知能の博士による「シンギュラリティ」についてのインタビューが載っていたんです。
遠山:なんだか一気に難しい話になった。「シンギュラリティ」って未来予測の概念だっけ?
鈴木:人工知能(AI)が人間の能力や知能を超え、それにより人間の生活に大きな変化が起こるという概念のことですよね。いずれテクノロジーが進化して、コンピューターが人間の知能を超えて、「超知能」を獲得するという話もありますよね。
遠山:それを高校生のときに読んで、寒川さんは影響を受けたわけ?
寒川:はい。もともとは政治学や社会学に興味があったのですが、無知の高校生だった故に、政治はある程度自動化されたほうがいいのかもしれないと。
遠山:確かに政治って人工知能に取って代わられるかもしれない。
寒川:それで、自分が生きている間には、その人工知能的なものに、取って代わられないもの、追いつかれそうにないものは何かと考えました。デザインや建築、ファッション、映画に演劇といろいろ考えた中で、その当時一番よくわからないと感じたのが現代美術だった。先ほど鈴木さんもおっしゃっていましたが、曖昧なのです、いろいろなことが。領域やメディウムも曖昧。言葉の定義や歴史も文章には書いてありますが、作品本体と対峙してみると、それらの言葉からは漏れている部分がすごく多い。ここが重要になると思いました。今後の社会と同じではないかと。
鈴木:説明しきれてない感じがあるよね。いろんな人がいろんなことを言えてしまう。明確な答えがない分野でもあるよね。ある意味医療に近いかもしれない。
遠山:何か新しい資料が出るだけで、いままでの歴史が大きく変わることもあるし。
寒川:評論家も作家自身も言い切れていない感じがあって、ものすごく面白い分野なのではないかと。人生何年あるかわからないけど、最後まで楽しめそうなものとして、現代美術をと思いました。
遠山:それは文学ではダメだったの? 村上春樹さんとか遠藤周作とかに触れていたとも言っていたし。
寒川:今でも文学に興味はありますが、そのときはやはり美術でしたね。無意識のうちに、美術の抽象性に惹かれたのだと思います。
遠山:当時はどんな作品をつくろうと思ってたの?
寒川:高校生の時はペインティングからはじめましたね。ダミアン・ハーストなど、その当時美術界を席巻していた作家はよく見ていました。ほかには、アンディ・ウォーホルはポップアートとされていますが、実態はコンセプチュアルなのではないかな、など。
寒川:作品が、言葉から漏れていっているのが面白かった。作品のパワー、圧力ですよね。また、良いとされていても、理解できないものもありました。例えば「コンセプチュアル・アート」とされる作品や作家は高校生のときはあまり理解できなかった。でも大学1年生のときに、闘病していた母が亡くなるのですが、亡くなった後の数ヶ月の間に、急にコンセプチュアル・アートの一部が理解できたように感じた。自分の体験を通じて体得して、そこから大きくいまの形に近づいていったように思います。
遠山:それは誰かの作品がきっかけとかあったんですか? それとも概念的や説明が急に頭に入ってきた?
寒川:作家の作品からですね。例えばフェリックス・ゴンザレス=トレスの作品。
遠山:難しいところきたね。
寒川:難しいです。僕自身も母が亡くなるまでは、彼の作品は難しいと敬遠していました。説明がないとわからない作品、見てすぐに理解できない作品。よく見ると視覚的な部分も優れていますが、素通りする方も多い。それは微妙だ、どうなのだろうかと、当時決めつけていた部分があった。決めつけをしていた高校生の僕は、物事の多様さを理解できていない、自らの変化を受け入れられない、今思うととても勿体ない状態ですね。
鈴木:確かに山積みにされた紙片やキャンディを好きに取って帰っていいですよって言われても、作品の意図を知らないと、ただ何かを積み上げた作品なだけって思ってしまうよね。電球が展示されていたり。意味が見えない。なんでこれが作品なの? と思われる典型かもしれません。
寒川:そう、例えば置かれているキャンディが実はトレスと、彼のパートナーの体重と同じにしてあって、それを持ち帰る、それがいったい何を示しているのか、愛なのかウイルスなのか。そこの奥深くまで知らないと、彼の作品に出会うこともできない。
遠山:それが急に素晴らしい作品に見えた。
寒川:はい。母が亡くなって3ヶ月後くらいに、突然、世界で一番素晴らしい作品だと思いました。作品を通して、自らが変化したことに気づきました。反対にそれまでおもしろいと思っていた作品への興味が薄れていったことも覚えています。
鈴木:ゴンザレス=トレスや河原温の何がそんなに寒川さんを刺激したんだろう。
寒川:とても個人的なものから生まれ、そして普遍的なものだったからかもしれません。作品が、大勢に向いてなかろうが、一見プレゼンテーションしようとしていなくても成立するのだと。それにもうすでに亡くなってしまった人の作品が、鮮度をもって、何年も何年も先に生きる人を深く考えさせる。それは美術でしか成し遂げられないことかもしれないと思いました。そこから更に、美術の自由さ、重要さを理解したのだと思います。これは生涯かけて楽しめるものだと思うようになりましたね。
作品への気づき
鈴木:東京都現代美術館での個展でも、いろんなジャンルの作品が展示されていましたよね。例えば学部時代の卒業制作のひとつだったという、チェスとドラムの作品は遠山さんが絶賛していました。
遠山:あれはおもしろかったですね。
寒川:卒業制作でいくつか制作したシリーズのひとつです。スポーツの構造を分解して、新しいスポーツ、共同体をワークショップとして生み出そうとした作品ですね。
※大学学部時代の卒業制作。2020年には金沢21世紀美術館にて、この卒業制作の作品名に触発された企画展「de-sport : 芸術によるスポーツの解体と再構築」が開かれた。
https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1781
遠山:なんかあの作品見たときに、すごく科学的なアプローチをしているなって思った。ただドラムとチェスという一見すると交わらない素材をただ共存させたんじゃなくて、そこに科学が入ってくるんだもん。そういったアプローチも寒川さんのおもしろさだよね。でも、さっきもあんまり計算しながらやっていないとは言っていたけど、ある程度計算というか、実験を重ねて作品を制作していますよね。それにリサーチ力も半端ないと思っていて。どの部分に一番時間をかけているんですか?
寒川:作品によりますが、リサーチには時間がかかりますね。
鈴木:じゃあアイデアとかはどうやって生まれるんですか?
寒川:よく思考があって順番に組み立てるとか、はたまたアイデアが降りてくると言いますよね。それとは少し違って……。
鈴木:確かに、多くの作家はけっこうしっかり思考して作品の方向性を決めて、組み立てていくことが多い気がします。それに降りてきて、そこから一気にという人もいますよね。
寒川:僕は両方、あるいは複数が同時にある感覚が大きいです。頭の中に、常に思考する部分、観察する部分、組み立てる部分、視覚化する技術的な部分。これらが瞬間的につながることがあります。例えば《Light and shadow inside me》(和訳:私は存在するだけで光と影がある)という退色の原理を応用した作品があります。これは、家の中でふと目にした箱を見たことがきっかけとなりました。窓際に置いていた箱が、日光によって色が綺麗に退色していました。それを見たときには、すでに思考があったような感覚です。思考をして何かを考えるのではなく、常に人生の体験を引っくるめて物事をみているような。
遠山:そこからこの作品とか、モノクロの作品が生まれていった
寒川:はい。モノクロの印画紙のものも。
鈴木:この作品はある種、寒川さんの代表作のひとつとも言われているけど、そんな身近な存在から生まれた作品だったんだ。
遠山:簡単につくり方を教えていただけますか?
寒川:《Light and shadow inside me》は、水彩紙に緑色のインクを均一に塗って、その紙を五角柱などの多角柱に折り曲げます。そうすると、円形の柱状になりますよね。それを動かさずに同じ位置で太陽の光を当てます。
遠山:ちなみにどれくらい?
寒川:季節にもよりますが、1ヶ月以上が多いです。支持体、つまり紙が自身を守るかたちで、守られている影の部分は色が濃いまま変わらず、日が当たり続ける部分は退色し、色が落ち、薄くなります。
鈴木:太陽の力を借りて、紙自身が持つ影と光で色をつけるということ?
寒川:そうですね。正確に言えば、太陽によって、色が飛ぶ。支持体自身がイメージをつくります。
遠山:それだけでこんなに美しいグラデーションが生まれるんだ。
鈴木:これは絵画作品になるのかな。
寒川:最終的には絵画作品だと思います。立体的な部分もありますし、インクを塗布しているので、ドローイングといえるかもしれません。
鈴木:よくよく考えたら、これって写真にも近いですよね。写真のはじまりって日焼けじゃないですか。
寒川:はい。まさに日焼けです。これは原始の写真に近いと思います。
遠山:シンプルな平面作品に見えながら、いろんな解釈ができる。説明がいるけれども、知ればそれだけ発見もある素晴らしい作品ですよね。
遠山:でもこれから寒川さんはどこに向かっていくんだろう。
寒川:大きな話に(笑)
遠山:だってそれぐらい不思議な人なんですよ、私からしたら(笑)。東京都現代美術館での個展でも思ったけれども、可能性しかない人だなって思っています。そしていつでも私たちを驚かせてくれる。
鈴木:とてつもなく繊細なようでいて、大胆だったりもするし、そして博識。インプットとアウトプットの能力がとても高い人だなと改めて思いました。だからこそ、これからどんなアウトプットが行われて、僕たちはどんな作品と出会えるのか。
遠山:アート作品が鑑賞者に何か新たな想像とか、新たな感情とかを生み出させることは当たり前のことかもしれないけど、今回寒川さんの話を聞いて、いま一度、現代美術に関わっている私としても、現代美術ってなんだろうって考え直さなきゃいけないなって思いましたね。
鈴木:僕もいつもそれは考えていますが、それをどう伝えていくのか、いけるのか。寒川さんの作品とともに考えていかなければいけないなと思います。
寒川:ありがとうございます。僕にとって美術は、曖昧なところがあるからこそ、おもしろいのだと思います。それは現在では珍しいこと。はっきりとメッセージとして伝えるよりも、見ている人に想像を促し考えることがうまくできれば、可能性があるかもしれない。それぞれが自分の体験を持って頂けければ嬉しいですね。同時に、その想像力や考えの違いを受容する、そのような状態につながるのは社会にとってもよいのだと思います。
profile
寒川裕人(Eugene Kangawa)は1989年アメリカ生まれ、日本在住。日本を拠点とするアーティストスタジオ、EUGENE STUDIO(ユージーン・スタジオ)。東京都現代美術館 個展「EUGENE STUDIO 新しい海 After the Rainbow」(2021-22)、金沢21世紀美術館「de-sport:」(2020)、国立新美術館「漆黒能」(2019)、資生堂ギャラリー個展「1/2 century later.」(2017)、サーペンタイン・ギャラリー(ロンドン)「89+」(2014)など。「想像の力」が核となった東京都現代美術館での個展は過去最年少の開催であった。そのほか人工知能やモビリティ、農業、バイオテクノロジー領域などの研究開発への招聘があり、初期の活動は2017年に『アート×テクノロジーの時代』(宮津大輔著、光文社新書)にてチームラボらとともに日本を代表する四つのアーティストとしてまとめられている。ほか、2021年アメリカで発表された2つの短編映画は、ブルックリン国際映画祭、ヒューストン国際映画祭ほか10以上の国際映画祭でオフィシャルセレクションの選出や受賞。
▶︎https://the-eugene-studio.com/
profile
1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。
「新種のバザール展」については、こちらをご覧ください
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000062411.html/
▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎http://toyama.smiles.co.jp
profile
1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。
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