川喜田半泥子という粋人
第六回の今回紹介するのは、川喜田半泥子の名入りの書です。名入りといってもご本人の直筆かどうかまではわからないものではあるのですが……。
半泥子は元々は三重を拠点とした銀行家で、百五銀行の頭取などを務めた実業家です。50を過ぎてから陶芸家の活動を本格的にはじめ、あわせて書や画も嗜みました。「東の魯山人、西の半泥子」と言われたほど酔狂な人で、今日でも人気を博しています。
半泥子の死後、3万点以上が残されたという作品は売られることなく、多くは贈呈されたり、知人に分けられていたようです。半泥子の少しひねくれたウィットのあるスタンスには随分と昔から興味を惹かれていて、これまでも何度か展覧会には訪れていました。
自由奔放な作風の茶碗にも魅力的なものが多いのですが、英語の発音に漢字を当てた『大夢出門』(Time is money)や、の『波和遊』(How are you)など、抜群に洒落を効かせた書も残されています。漢字一文字一文字の選び方にまで遊び心が感じられ、どんな人だったのか生きている姿を見たかったなぁと思います。
茶の集まりの会の名を表したもの?
先日、新潟の古美術屋さんで(真贋ははっきりわからないものながら)、半泥子の名の入った書を売っているのを見つけました。ただ、古美術屋さんもなんと書いてあるかはわからないとのこと。
そこで半泥子の作品を管理する石水博物館に問い合わせたところ、川喜田半泥子は「艸人会」というお茶好きの集まりをやっていたと教えてもらえました。
この”艸人”というのは”茶”の漢字が、艸(”艸”は草の旧字)と人と木から成っている中、茶に満たない、すなわち茶人に到達していない人たちの集まりを意味するとか。そして1626年(寛永3)に出版された茶の湯の入門書『草人木』という有名な本が由来となり、「艸人会」と名付けられたらしいのです。なんともイヤミな感じが、これまた茶の世界らしいなぁと感じますよね。
この書はおそらくその会の名が書かれたものではないかという推理を立て、だとすると下手の横好き感も大事にしていくのはいいなということで購入し、小屋に飾ることにしました。
さらに詳しい人に伺ったところ、これは半泥子の字ではなさそうと言われました。まぁ真作ではなさそうではありますが、本名の久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)の「久」の落款まで押してあるので、贋作であっても、なかなか洒落が効いていていいなと気に入っています。
合わせ茶碗で一服
半泥子の代表的な茶碗に、ふたつの茶碗をあわせたものがあります。
お茶碗をふたつ合わせた構造になっていて、僕は美術館で見たことはなかったのですが、以前、実物で一服いただくというありがたい機会がありました。
このお茶碗、銘が『かりがね』。尾形光琳の実家が雁金(かりがね)屋という呉服屋で、そこが由来とのこと。茶碗同士の合わせ目に飲み残しの抹茶が沿う様が、光琳の《紅白梅図屏風》(江戸時代、MOA美術館蔵)の川に見立てられているのではという話をお聞きして、お茶の世界の奥深さに少し触れた気がしたものです。
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1981年生まれ、神戸出身。広告代理店・電通、雑誌『GQ』編集者を経て、Sumallyを設立。スマホ収納サービス『サマリーポケット』も好評。音楽、食、舞台、アートなどへの興味が強く、週末には何かしらのインプットを求めて各地を飛び回る日々。「ビジネスにおいて最も重要なものは解像度であり、高解像度なインプットこそ、高解像度なアウトプットを生む」ということを信じて人生を過ごす。
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