「本物」に日常的に触れる機会を
「谷根千(やねせん)」に総称される谷中、根津、千駄木あたりは、東京の下町のなかでも古き良き昭和の面影が残るエリアだ。古い木造家屋や古民家をリフォームしたレトロな店舗などが点在する。谷中はそうした懐かしく歴史ある街並みとともに、東京藝術大学や数多くの美術館や画廊などが連なる、東京随一のアートスポットでもある。
2013年に設立されたWALLS TOKYOが、当初拠点としたのが文京区白山。アートディレクターの川上シュンさんが友人ふたりと立ち上げた。それから10年の間に、世の中やアートシーンも変化、WALLS TOKYOもブランドをアップデートすべく谷中に移転、オーナーやスタッフも入れ替わり、新たなチームとしてリスタートを切った。扱う作品は、ダミアン・ハーストやカウズ、杉本博司、アンディ・ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズ、ピカソなど幅広い。価格も高額なものは1千万円近くするが、10万円以下の手ごろなものも多く取り揃えている。
川上:WALLS TOKYOをスタートしたのは2013年末でした。当時は本物のアート作品や著名な作家の作品、特に海外のものはカジュアルに購入できなかった。実は今もその状況は大きく変わってはいないのですが、その裾野を広げていきたいという動機からでした。もう少し、「本物」に日常的に触れる機会を増やしたいという意図で立ち上げたんです。僕はブランディングディレクター兼キュレーターという立場で関わってきて、それは今後も続けていく方針です。
島津:国内最大級の現代アートのECサイトTAGBOATのスタートは2003年でしたが、その頃アート業界はオンラインでアート作品を販売することに懐疑的だったと思います。WALLS TOKYOは2013年末にオープンしましたが、オンラインで販売するギャラリーとしては早いほうだという印象です。今ではサプライヤーも増えてきました。WALLS TOKYOは基本的にはセカンダリー(購入顧客の手元にあった作品をオークションなどで二次販売する作品)のギャラリーですが、プライマリー(ギャラリーなどから最初に販売する作品)も少しずつ扱っていきます。そのあたりの方向性は皆で協議していくことになると思います。
川上:作品のセレクトに関しては、IT企業経営者である若園さんと、もうひとりIT企業社長であるふたりのオーナー、ギャラリースタッフ、そして僕というチームで行っています。取り扱う作家や作品を検討していくことになるんですが、興味の対象や好みがかなり違うんです。でもそれを強みと考えています。特定の作家を扱うギャラリーということではなく、いろいろな角度からユーザーに提案をしていきたいと思っています。
若園:そういう点では、アート作品を初めて購入するという方の入り口になると思います。私もまったく異業種からの参入なので基礎的な知識はありませんでした。たまたまテレビかネットで見たピート・モンドリアンの作品を素敵だと思い、どれくらいで購入できるのだろうと調べたら、とんでもない金額だったということがありました。最近、ダミアン・ハーストにも興味がわいてきました。WALLS TOKYOにもミッキーマウスとミニーマウスをモチーフにした作品があります。私が欲しいくらいです。(笑)
川上:実は若園さんのセレクトしたものが、最も購入を希望する層が厚いのではないかと思っているんです。僕なんかだと少しマニアックになりすぎてしまうきらいがある。だからキュレーターの売り上げ成績でいうと、若園さんのほうがきっと上ですよ。そうした側面もWALLS TOKYOとしては多様性として大切にしていきたいと思っています。
島津:一般的に、ポップアートならポップアート、ストリートアートならストリートアートというような画廊ごとのカラーがあるのが普通です。アンディ・ウォーホルとダミアン・ハーストと、キース・ヘリングを同時に扱っているギャラリーというのは、そうはないんじゃないかと思うんです。基本はオンライン取引が主ですが、谷中までお運びいただければ実物をご覧いただくことができるので安心感もあります。ネットで見つけていただき、ギャラリーで確認していただくということが可能です。
川上:やはり本物って見ると違うんですよ。毎日眺めていると、そこからパワーを分けてもらえる感じがします。作家がきちんと向き合った作品には、見えないオーラみたいなものがあって、部屋の中にポンとあるだけで生命力を感じさせるものです。複製や偽物にはないエネルギーがあると僕は確信しています。よくポスターやポストカードなんかを額装して部屋に飾る人も多いじゃないですか。あれはあれで否定しませんが、「本物はやっぱりいいんだよね」という感覚が育たないと、アートに対するリテラシーや文化度は上がっていかないですよね。リトグラフやシルクスクリーンだとしても、きちんとしたエディションものは、アーティストが認めたものですし、「本物」というのがWALLS TOKYOの第一のポリシーで、それはチーム内で共有していることです。クリスティーズなどのオークションで落札したものも多いので、証明書などもきちんとついています。
島津:ホームページをご覧いただくとお分かりいただけると思いますが、10万円以下の手ごろなものもたくさん揃えているのも特徴です。世代を問わず本物を届けていくのが、私たちの使命かなと思っています。
アートの発信基地として
基本的にはセカンダリーを扱うWALLS TOKYOだが、「まだ契約していない作家や、いわゆる契約フリーの作家の発掘は徐々にしていきたい」と川上さんと若園さんは意欲を見せる。今年9月には、社会現象や環境問題をモチーフとしてさまざまなメディアで作品展示やアートプロジェクトを展開するアーティスト、藤元明さんの企画展示も控えている。その他、抽象画家の平丸陽子さん、「禅之庭」「枯山水」など日本の伝統的世界からインスパイアされた作品を手掛ける尾形純さんの展示も続く。
川上:セカンダリーを主軸としつつ、新しいアーティストたちの発掘・発表の場という両輪で進めていけたらいいですね。「アートのセレクトショップ」を標榜するWALLS TOKYOなので、マジョリティ向けもあれば、マイノリティ向けもあるという幅は持っていたいです。本物はすべて一点モノなので「ワン・フォー・ワン」の関係があればいい。ひとつの作品は、たったひとりの人に気に入ってもらえればいいわけですよね。
島津:WALLS TOKYOは、作品にどれだけ実感を持って向き合えているかという点をみて作家をセレクトしています。もちろんそれだけではありませんが。経歴や受賞歴などはあまり問わないですが、有名作家と並んでも遜色のない一定の力は必要だと思います。それはひとつの評価軸ですね。かなり高いハードルだと思います。
川上:それと「生活とともに楽しむことができる作品」、というもうひとつの物差しがあります。作品を画廊や美術館で見るのと、生活空間に置くときでは、見え方や関わり方がまるで違ってきます。持ち主の好みはありますが、エネルギーを吸い取られたりやネガティブなコンセプトの作品が飾られていると、少し疲れてしまうことってありますよね。美術館で見れば、問題提起や感動をするかもしれないけど、家に飾るには重すぎるなど。結局それがもとになって、飾られずに倉庫で埋もれてしまう作品も結構あると思いますし、飾られない作品というのは、少し残念な気もするんですよね。
島津:WALLS TOKYOの顧客の方は、わりと暮らしのなかで楽しみたいという方が多い気がします。生活の中にアートを取り込むお手伝いを続けていきたいです。
谷中とアートの親和性
谷中という場所に決めるまでに、恵比寿や目黒などの候補地もあったという。最終的に落ち着いたのは、上野桜木を有名にしたギャラリーSCAI THE BATHHOUSEと同じ通り。決め手は何だったのだろうか。
若園:最初にここに足を運んだのが4月で、上野公園や谷中霊園の桜が満開だったんです。そうした自然に溢れた環境もいいですし、東京藝大や東京都美術館、国立西洋美術館、そしてギャラリーなど多彩なアートスポットがあることももちろん大きかったです。
島津:近くには画廊が点在していて、お隣は茶道具を扱うギャラリーです。伝統美術から現代アートまで上野から谷中のエリアは懐が深いです。散歩するにも良いコースがたくさんあります。
若園:谷中銀座は昭和の雰囲気が残っていて下町情緒がある。情緒と風格を持っている谷中の雰囲気がすごく好きです。おそらくコロナが収まれば、外国人の観光客も戻ってくるでしょう。今まで私はシステム会社を経営していたので、コンピュータプログラム以外にはさほど興味はなかったんですが、今はアートについて少しずつ知識が増えていくことが楽しくて仕方ないです。
川上:若園さんがWALLS TOKYOに加わってくださったことはとても大きかったんですよ。オンラインのシステムも少し古くなっていたところ、若園さんのおかげで上手に拡張することができましたし。これはかなりの強みですね。ベストパートナーだと思っています。
キュレーションの幅広さを尊重していきたい、という川上さんは「若園さんも選び、ギャラリースタッフたちも選び、僕も選ぶ。それぞれの価値観によって、WALLS TOKYOに合いそうな作品を仕入れていきます。誰かひとりが個性の強いコンセプトを持つというスタイルではなく、チームメンバーがフラットで、多様性があることが大事」と語る。
また、自身を「アートについては素人」と公言する若園さんだが、もともと研究熱心な性格が幸いし、アートへの関心は日々拡大しているという。
若園:たとえば雑誌やテレビを見ていても、これまでは耳に留まらなかったアート関連の情報が、自然に受信できるようになったということはあるかもしれません。
川上:どんどん面白くなってくるんですよね、いろんなことが。美術館に行ってもそうだし、たとえば、商業施設やホテル、レストランなどに行くと「あれ、いい絵が掛かってるな」なんて気がつくようになる。それは、暮らしの質が上がっているということを感じたり、豊かさの向上なのかなと。WALLS TOKYOはアートへエントリーするギャラリーとして非常に存在価値があるんじゃないかなって思います。敷居は下げてあるけど、取り扱う作品のクオリティは高い。
島津:生活空間にアート作品を飾ることは、もちろんインテリアのアクセントになるという役割もありますが、それ以上に、アーティストが何か思いを込めてつくった、その哲学や思想みたいなものを受け取る意味がありますよね。ほんの束の間でも、日常のなかにそうした営みがあることで、人生の指針のようなものが生じることもあるでしょうし、いま川上さんがおっしゃったように、豊かさと直結するものだと私も思います。
次なるフェーズを見据えて
WALLS TOKYOの次なる段階としては、顧客がオーダーする作家の作品を探したり、ともにオークションに参加するというようなことをめざすという。そうしたパートナーシップの構築にも今後注力していきたいという。
川上:一緒に楽しみながら購入していけるといいですね。ひとつ作品を入手すると、きっとその作家の別の作品も気になるでしょうから。
若園:実際にキース・ヘリングはリクエストがあって探しました。最初は「オンラインだけでいいんじゃないか」と周囲から言われましたが、やはり場をつくってよかったと思っています。ダミアンなんかは写真で見たときと実物を見たときでは印象がまったく違いました。
川上:そうですね。質感もそうだし、サイズ感もそう。ここにあるウォーホルのモンローは気持ち良い大きさですよね。ネットだと伝わりづらいけど、見れば一目瞭然。
島津:住宅に置く場合は数センチ単位でサイズが重要になってきますからね。
川上:先日、藤元 明さんの大きな作品を購入して、これから軽井沢の家に入れるんですが、飾るためにソファや棚のレイアウトを変えなくてはいけません。でもアートのために模様替えするというのも、また楽しいことです。
島津:作品を季節で替えたり、気分で掛け替えたりするのはとてもいいことですし、作品のためにもいいみたいです。アートに関わることで人生がより豊かになる、そのお手伝いができれば嬉しいです。
新たなチームメンバーの集合知によって、今後、WALLS TOKYOはさらに魅力的なプラットフォームに編集されていくだろう。
profile
1974年、京都生まれ。株式会社DDR8代表取締役。インターネット黎明期よりパソコンソフト販売会社を経営、その後NetIRD傘下の企業に入社し、プロバイダ「Geisha Internet」やメルマガサービス「まぐまぐ」の立ち上げにも協力。それらの経験を生かし、システム制作会社DDR8を立ち上げ現在に至る。サーバー、ネットワークなどの知識が豊富で、メインとなるシステム開発の傍ら、ブロックチェーン、Web3関連のプロジェクトも多数手がけている。
profile
1977年、東京都生まれ。artless Inc.代表。日本と海外を行き来しながら、独学でデザイン、アート、ビジネスを学び、グローバルとローカルの融合的視点を軸としたブランドストラテジーからデザイン、そして、建築やランドスケープまで包括的なブランディングやコンサルティングを行っている。カンヌ国際広告祭金賞、iFデザイン賞、NY ADC賞ほか、国内外で受賞多数。また、アーティストとして作品を発表するなど、その活動は多岐にわたる。庭師のスガヒロフミ氏と共同で起こした1A.ltd.でも現在いくつかのプロジェクトが進行中。
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長年ギャラリーでの展覧会企画運営に携わる。2018年よりWALLS TOKYO勤務。
Information
WALLS TOKYO
110-0001 東京都台東区谷中 6-2-41
03-6455-3559
shimazu@walls-tokyo.com
▶︎http://www.walls-tokyo.com
open 水〜土/close 日〜火
藤元 明 個展
会期:2022年9月28日(水)~10月22日(土)
場所:WALLS TOKYO