自然に森を借りて、住まわせてもらう
東京から新幹線で約1時間、JR軽井沢駅に降り立つと清涼な風が身を包み、初夏の軽井沢へ来たことがすでに実感される。中軽井沢エリアにある鶴溜(つるだまり)別荘地を目指して車を走らせること15~20分、新緑の雑木林が増えるにつれ、木漏れ日のなかに野鳥の声がこだまする。ここ鶴溜別荘地は昭和30年代に開拓された由緒ある別荘地で、「軽井沢野鳥の森」が広がる自然豊かなエリアに接する。東側の道路は旧軽井沢へと通じ、西側は千ヶ滝方面、ハルニレテラス、トンボの湯などに至る。
庭師でランドスケープデザイナーのスガ ヒロフミさんは、この土地の澄んだ空気と美しい木立の様に魅了され、2019年に1000㎡の土地を取得。DAYTONA HOUSE×LDKとのコラボレーションによる邸宅を今年1月に完成させ、現在試験的に売り出している。8本の柱によって宙に浮かぶようなLGS(軽量鉄骨下地)構造のこの家の佇まいは、ひと言でいうと「軽やか」。鉄筋コンクリート造(RC造)の重さがなく、どこかツリーハウスのようでもあり、周囲を取り囲む雑木林と見事な調和をたたえる。
国内のみならず、ヨーロッパ、中東、アジア、アフリカ各国でさまざまな庭園やランドスケープデザインを手掛けてきたスガさんは今、この土地、この空間についてどのような感慨を抱いているのだろうか。
スガ:軽井沢一円の土地をあちこち見たのですが、ほどよい森というのは案外少なかったんです。旧軽井沢になると比較的常緑樹や針葉樹が多く、なんとなく重たい感じがしました。静かな雰囲気はあるのですが、ともすると針葉樹中心の森は暗い印象になるんです。それに比べてここのような落葉広葉樹の森は、葉が落ちると光が差し込み、その葉が堆積した土には虫などの生命が生まれ、それを食べに鳥がやってくるという朗らかな循環のある森なんです。風通しのよさにも魅力を感じ、この土地に決めました。
川上:僕も近くに自宅があってここのよさを体感しているから、スガさんには強くプッシュしました。生きものが多い場所というのは、やはり生命力に溢れているんですね。それでいて人間も住まわせてもらう余地のある場所というか、自然と人間の営みのバランスが昔から育まれてきたのが軽井沢でもあるので。
スガ:やはり「森を借りて住まわせてもらう」という感覚を人間側が失ってはいけないと思うんですね。ここは前に別荘が建てられていた土地ではなく、長らく雑木林だったのですが、今回、家を建てるにあたって伐採した樹木は、十数本くらいです。そのあと植えた植物はひとつもありません。土もそのままの土なので、柔らかく有機的な土です。RC造にしたくなかったのは、土地を傷つけたくなかったから。それと軽やかで自然と調和した景観を保ちたかったからです。ミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸のイメージもありましたね。
ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)と言えば「Less is more.(レス・イズ・モア)」や「God is in the details.(神は細部に宿る)」などの名言を残した建築家としても有名だが、スガさんの発言から、「すべてのものにそれぞれ適切な配置場所というものがある。それはもともと持っている性質に逆らわないこと」というミースの言葉が思い出される。
「この空間をつくりだした動機として、自然回帰の思想をプレゼンテーションしたかった」とスガさんは語る。
スガ:できるだけもとの自然を傷つけず、人間の自我や創意というものを極力入れたくなかったんです。ランドスケープデザイナーなのにランドスケープを表現しないというのは矛盾しているかもしれませんが、まだ雑木林だけだったこの土地を見たときから、最終的にどうするか見極めはできていました。ここが斜面地であるというのも面白いと思いました。斜面地だったのでこれまで活用されず、植生豊かな森が整理されすぎず残っていたわけですよね。そうした地形や植生の読み解きというのは、庭師という生業に由来していると思います。僕の場合は二級建築士の資格を持っていたので、ここに関しては基本構想の設計をしましたが、今後ランドスケープデザイナー発信の建築というのは、次第に増えていくんじゃないかとひそかに思っています。
川上:僕も、世の中は間違いなくその方向に動いていると思いますよ。カーボンニュートラルやSDGsの見地からも、これからの社会は自然をないがしろにはできない。自然を読み取れない人が建築物を設計することは徐々にできなくなっていくでしょう。スガさんのフィロソフィー「美の定義」を読んだとき、同じ価値観を感じ、深い共感を得ました。すぐに、この人とは仲良くなれると思ったし、一緒に仕事をしてみたいと思ったんです。
【美の定義】
自然の木々の草花の関係にしても、何一つ余裕で生きてる事はない/全てが自らの極限で成立しているように思われるしそれが最もバランスの取れた状態と言える/そうであっても極限をそのまま表現する事が美しいとは思われない/大風に今にも折れそうな枝や花を見るより、そよ風にゆらぐたおやかさを私は好む/人にしても、必死を通り抜けた清々しい笑顔にむしろ強さを感じられし共鳴もするだろう/上質とは道理や正義を振りかざすものではなく/少し物足りないと思うかも知れないが/いつくしみや、包み込んだ微笑みに似たようなものではないか
軽井沢が絶好のサードプレイスである理由
もともとスガさんが代表取締役を務める会社1mokuのブランディングを、川上さんの会社artlessが担当した縁で親交が始まり、その後会話を交わすなかで、共有する多くの感覚や思考、思想を互いに発見し、プライベートでも気脈を通わせる仲になった。2021年に1A.という組織を共同で立ち上げ、現在はいくつかのプロジェクトに共に取り組んでいる。お二人が「1A. Residence」と名付ける鶴溜のこの邸宅の進捗を川上さんもずっと見守り、助言を惜しまなかった。
川上:スガさんは1A. Residenceで、どういう過ごし方をしてもらいたいですか?事業的なことというより、どんな人たちにどんな時間を過ごしてもらいたいか。
スガ:実は具体的にはあまりなくて、それよりも、使う方がこの土地の価値を充分に理解したうえで、好きに過ごしていただきたいですね。家の中も能動的に設計したくなかったので、サニタリールームと西側の1室を除くと大きなLDKのワンルームになっています。細かく仕切るとその空間に機能が生じてしまい、使い方が決まってしまう。そういうものにとらわれずに自由に使ってほしいんです。
川上:住まい手も、それぞれが感じる豊かさはひとりずつ違うでしょうから。R100 TOKYOが掲げるクイディティ・オブ・ライフはそこに光を当てているブランドだし、つまりは目に見えるものじゃなくて、目に見えないもののほうにこそ価値がある。「見えない、聞こえない、触れない存在こそが宇宙の根源を成している」という老子の思想にも通じるように、たとえば壺は物質そのものではなく、壺の中の空(から)の空間に価値があるとか、柱と柱の間にある空間にこそ価値があるとか、物質でないものには経済的価値はつけづらいけど、本当は住宅だって箱そのものより、場所や空間や空気といった無形なものに価値があるべきだと僕なんかは思いますね。いい時間を過ごせるとか、体調がよくなるとか、豊かな時間が流れているとか、そうしたことに本質的な価値があるんじゃないかなと。だとすればここで過ごすことで見えてくる体験や価値は素晴らしいはず(笑)。
かつて「別荘」は休息の場であり、生産的なことを停止する場所であったが、世の中のテクノロジーや人々のライフスタイルの変化にともない、必ずしもそうした役割に限定されるものではなくなってきている。自宅/別荘という切り分けではなく、ファーストプレイス(自宅)、セカンドプレイス(職場)、サードプレイス(第3の場所)を、よりファジーに捉える傾向が強まっており、サードプレイスで仕事をしたり、地域活動をする人も増えている。それにともない、住空間における間取りも次第に形骸化していくと、川上さんは話す。
ミースのまた別の言葉「家をパッケージ化することに利点があるとは思わない。パッケージ化すればそこに規制が生まれるからだ」という一節が浮かぶ。
スガ:軽井沢は東京まで新幹線で1時間という利便性のよさと同時に、100年以上前から駐日外国人や白洲次郎などのエスタブリッシュメント・文化人が醸成してきた文化や歴史的背景があります。そのうえISAKとか軽井沢風越学園とか、質のよい教育機関が整っているおかげで、価値が下がらない。
川上:軽井沢には東京と対峙できるだけのものの質や文化の厚みがあるよね。正直、自然がたくさんあればいいというわけでもない。それとサードプレイスは、かつての「別荘」のように夏や冬の長期休暇に行く場所というわけではなく、少なくとも月に1度くらい行く感覚の場所だと思うんです。なのでそういう行き来のリズム感が可能なエリアになってくる。人が住める環境と自然環境のちょうどいいバランスが軽井沢にはある。それを東京で得られる人はごく限られますよね。
スガ:軽井沢以外のエリアではなかなか成立しないパターンというのはありますね。
川上:もとの自然に手を入れる場合、スガさんならここをちょっと切ればいいとか、ちょっと整えればいいっていうのが見えるだろうけど、やはり植物のプロの目線がないとそこは見極めにくいですよね。だからスガさんと組んだ1A.の強みはそのあたりなんだけど、この方、ランドスケープデザイナーなのに植物をあまり植えないんですよ(笑)。
庭師の歴史的位置づけと現在地
もともと京都で庭師としての研鑽を積んだスガさんは、その土地の由縁や地質、風水的な要素も含めて、土地を読み解くことに長けている。そこには自然崇拝もあり、禅宗的な枯山水に代表される精神性も内包される。「伝統的な思想や作法をもって現代のランドスケープをデザインするスガさんのような人はほかにいない」と川上さんは言う。これまでは、建築先行の流れで生じるランドスケープデザインが一般的であったところに、スガさんは一石を投じている。
スガ:だいたいどこの別荘地でも、家が主体になっていますよね。森の中に家があるというよりは、家のまわりに木が生えている感じ。家を建てたあとにどこかから持ってきて植えられた木と、もともとその土地にあって育った木では生命力がぜんぜん違います。本来は最初からあった木々も含めた価値が、その土地の価値になるんじゃないかって思います。ランドスケープの目線からすると、そこには何も建ててほしくないところもある。僕自身は自己満足のための庭づくりからは遠く離れていたいと思うんです。最近、川上さんとよく話すことですが、家も庭もひと言でいうと、「美しいかどうか」みたいなことです。
川上:土地に負荷をかけずに建物を建てるとか、サイズを決めるとか、その視点が必要ですよね。敷地いっぱいに家を建てて利便性や機能を優先させると、豊かさとは対極の貧しく痩せた印象になってしまう。だから林や森のよい環境や循環を崩すことを極力避ける建築は、今後すごく重要になってくるだろうし、そういう意味で1A.や1mokuは、少し先の価値観でものづくりができるんじゃないかなと思っているんです。生け花では「野にある花のように生ける」と言うけれど、家の中に自然を映し込みたいですね。「無形価値にはなかなか支払いが発生しない」と先ほども言いましたが、もともとの自然環境を生かしたランドスケープは、ある意味無形価値に近いかもしれません。でもきっと近い将来、無形価値と有形価値のドラスティックな転換が起きるとは思います。
スガ:江戸末期に生まれた京都の庭師・小川治兵衞(おがわじへい)は、京都の南禅寺界隈に琵琶湖の疎水を引いて池泉回遊式庭園をつくった人です。そこに東山の景色を借りて数寄屋建築を建て分譲販売したのが、今の南禅寺の大豪邸の名残ですね。もはやものすごい価値になっています。治兵衞が生きていたのは、庭師の歴史上、最も地位が高かった時代で、上棟式でも大工より庭師が上座だったんです。家ができたあとも修繕や剪定なんかで定期的に敷地に入るのは、大工よりも庭師のほうが多かったので、家主の茶飲み友達であり、家まわりの相談相手でもあったんです。
川上:それがどうして変化してしまったんだろう。
スガ:いろいろな要素があるとは思いますけど、プレゼンテーションが下手だったり、言葉でのアウトプットを仕切れていないという問題はあったかもしれませんね。どうしても職人さんというタイプの人が多くて。庭師の実情でいうと、すごく丁寧に扱ってくれるクライアントさんもいますが、現場に出ると明らかな差別にも遭います。だから僕らはプレゼン資料にもものすごく力を入れていますし、多言語対応もできるようにしている。僕自身は庭師と自称することに誇りを持っていますが、仕事次第では仕方なくランドスケープデザイナーを名乗っているんです。
100年後も揺るがぬ本質的な美しさ
現在、川上さんと進めているサウジアラビアの案件では、クライアントの要望に応じて日本庭園を設計しているスガさん。海外でも日本の茶室や数寄屋造りは人気があり、日本人以上にそうした歴史や文化に造詣が深い人も多いそうだ。そこには高い精神性をもつ芸術表現としての庭への憧れがある。
スガ:サウジのプロジェクトでは、石で思想を表現した池泉回遊式庭園をデザインしています。昔から庭師の世界には「木を見るな、石を見ろ」という教えがあるんです。100年単位で考えたとき、庭のなかで確実に残っているものは、石組みと、地割り(山と川などの地面のライン)という2つの要素なんです。
「1A. Residence」のメインルームの壁にも、大きな一枚岩のような意匠が施されている。実はこの岩、コンクリートパネルにモルタルを塗布したアート作品でもある。スガさんと庭師衆が自由に表現したものだ。「たとえば大谷石や御影石を貼ればモダンになり、仕上がりも早かったのですが、それは面白くないということで、オリジナルなものを考えました。訪れた人には案外好評です」とスガさん。
スガ:できるだけ家の内と外に境界線を持たせたくなかったので、岩の意匠を室内の壁面に取り入れたり、デッキを半戸外空間としてガラス一枚で仕切るだけにしたんです。内が外で外が内という感覚を味わってもらいたくて。ある意味「森に還る」がひとつのテーマです。深い意味でいうと、ゆくゆくは人間も自然に戻る、土に還るものなので……。
川上:やはり現代人は差し迫って、都市空間から距離をとりたくなっているんじゃないかな。そういう意味ではファーストプレイスやセカンドプレイスが都市部にあれば、サードプレイスは森や海、自然の中にあるというのが健全なのかもしれないね。そうしたバランスをとることが、実は仕事の生産性に繋がっていくのが面白いところですね。相互によい作用をしてくれれば。
スガ:15年くらい前、「自宅の庭をどう造りたいですか」という取材を受けたとき、僕は「環境を選ぶ」と答えたんです。「森の中に建物を建てて、なるべく庭は造りたくない」と。なぜなら人間の感性は日進月歩だから、昨日造った庭に明日飽きるかもしれないので。
川上:「1A. Residence」の庭だってまったく手をかけていないかと言ったら、かかっているんです。最小限の。その最小限は誰にでもできるものじゃないけどね。1カ所、北側の屋根がもともとあった木とぶつかりそうなところがあるけど、そこも木がもう少し屋根の方に接近してきたら、木ではなく屋根のほうをなんとかするんだよね?
スガ:はい。樹木からすると、自分たちが先にここの土地に息づいていたのに、人間の勝手な都合で切られたりいじめられたりするっていうのは、おかしな話ですからね。
川上:その考えは先ほどの「美の定義」にも読み取れるよね。美の定義って古今東西もちろん違うから正解はないだろうけど、必要なのは一人ひとりが「定義する」ということなんだろうね。美意識はその人が美しいかどうかの根幹に関わってくるものだから。美意識がある人は人との付き合い方や物腰、すべての所作が美しいんですよね。まあ、スガさんと飲んだりすると、だんだん言葉や鼻息が荒くなってくるんですけど(笑)。ソーシャルグッドの善悪ではなく、つまりは生きる姿勢が美しいか美しくないか、カッコいいかカッコ悪いかですよね。特にスガさんのように生きものを扱う人は、本質的な美しさを知っているから。
スガ:やはりこの世は人間が中心ではなく自然が中心であるという大局的な見方は、常に腹の真ん中に据えていたいです。
これから先、私たちにとっての「利他」とは、人が人に及ぼす利だけではなく、他の生きものに対する利でもなければならないと、改めて考えさせられる。
人と自然の営みの調和を目指したオーガニック建築の提唱者フランク・ロイド・ライト(1867-1959)は、アメリカのピッツバーグに、滝と共に暮らす家「落水荘(フォーリング・ウォーター)」を設計したほか、自然との共生を模索した建築を数々生み出している。そんなライトの「自然を学べ、自然を愛せ、自然の近くにいなさい。自然は決してあなたを裏切らない」という哲学が、自然を知り尽くし、自然を愛するスガさんの背骨にもかよっているように見受けられる。100年経ても普遍的な価値を持つミースやライトのDNAを受け継ぐかのような「1A. Residence」はまた、100年後も変わらぬ価値を有しているのかもしれない。
<Information>
・建築:DAYTONA HOUSE×LDK
profile
1977年、東京都生まれ。artless Inc.代表。日本と海外を行き来しながら、独学でデザイン、アート、ビジネスを学び、グローバルとローカルの融合的視点を軸としたブランドストラテジーからデザイン、そして、建築やランドスケープまで包括的なブランディングやコンサルティングを行っている。カンヌ国際広告祭金賞、iFデザイン賞、NY ADC賞ほか、国内外で受賞多数。また、アーティストとして作品を発表するなど、その活動は多岐にわたる。スガ氏と共同で起こした1A.ltd.でも現在いくつかのプロジェクトが進行中。
profile
1972年、東京都生まれ。株式会社1moku、1moku Spain S.L代表。新和造園株式会社(東京)、村上造園(京都)で働いた後、1994年に独立し、ランドスケープデザインおよび造園会社である「一木一石」を設立(後に「1moku」に改名)。以後、商業施設の外部空間やインテリアデザインなど幅広い領域で活躍、現在は国内外の造園プロジェクトを展開。2018年にスペインのバルセロナに2番目のランドスケープデザイン会社1moku Spain S.Lを設立。主な作品として、上海大光明電影院の屋上庭園、 椿山荘の神殿庭、太閤園の庭園ほか多数。川上と共同で起こした1A.ltd.でも現在いくつかのプロジェクトが進行中。
▶︎https://www.1moku.co.jp/
1A.ltd.
企業情報
▶︎http://www.1-a.ltd