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定番と最先端が同居する、五感が満たされる街「南青山」を歩く
街歩きの風景

定番と最先端が同居する、五感が満たされる街「南青山」を歩く

ファッション、アート、音楽、ヴィンテージ、邸宅……定番と最先端が同居する「五感が満たされる街」南青山

その街に住んでいるように、街を歩く。「街歩きの風景」シリーズでは、魅力あるエリアを歩き、見つけた“街の風景”を紹介する。7回目は「南青山」。この街の名を聞くと、ハイブランドの旗艦店や新進気鋭のレストランが櫛比(しっぴ)するイメージがある。全てが最先端であり、五感が満たされる街だからこそ、多くのアーティストや経営者などが居を構えているのも納得だ。常にイメージが刷新されており、その歴史や現在の発展までの背景は靄(もや)に包まれているようにも思える。今回は、街を歩きながら、街のあちこちに刻まれ、魅力を放っている南青山の素顔を探っていく。

Text by Aki Maekawa
Photographs by Noriyuki Fukayama

岡本太郎、村上春樹、林真理子が居を構えた街、南青山

南青山が登場する最も有名な作品といえば、作家・林真理子の『南青山物語』(1986〈昭和61〉年)だろう。流行と人間模様を描いたエッセイは、人気女性誌の最終ページに掲載され、「雑誌を後ろから開かせる連載」と異名を取った。それまで、閑静な住宅街だったこの地に、多くの女性がやってきて、ブランドショップやレストランが登場していったという。まずは、表参道から高樹町通り(骨董通り)に向けて歩いていこう。

国道246号沿いに歩いていくと、文化施設・スパイラルホールがあり、道の反対側には1910(明治43)年創業の高級スーパーマーケット・紀ノ国屋がある。ここはかつてこのエリアに住んでいた世界的作家・村上春樹の作品に頻繁に登場する。また、富裕層の台所としても知られており、取材当日も多くの高級車が駐車場に入っていく様子がうかがえた。

青山学院大学が見えてくると、そこは高樹町通り(骨董通り)の入り口だ。

高樹町通りは「骨董通り」の通称で知られている。命名したのは日本の骨董商・古美術鑑定家の中島誠之助。通り沿いに骨董店が多かったことに由来するが、現在はその数は少ない。

骨董通りは、来るたびに印象が変わる。路面店の入れ替わりも活発で、現代アートのギャラリーも増えている。歩いているだけで時代の最先端の空気を感じる。買い物客は女性が多いのだろうと思っていたら、男性の姿が目立つことに気付いた。そう、この通り沿いには“服にこだわりがある男子”が愛好する、クラフトマンシップにあふれたアイテムを扱うショップが多いのだ。

現代美術のアーティストであるアンディー・ウォーホルが愛用したことで知られる、ニューヨークのアイウエアブランド「MOSCOT(モスコット)」の日本旗艦店。
若手経営者に愛用者が多い、アイウエアショップ「999.9(フォーナインズ)」と、創業190年の英国の靴ブランド「Tricker's(トリッカーズ)」が並ぶ。
デザイナーや若手経営者に支持されているアメリカを代表するワークブーツメーカーの「Red Wing Shoe Store 東京青山」も。1905年創業以来、現在もMade in USAを貫いている。

海外旅行気分で通りをそぞろ歩きする楽しみ

海外ブランドとギャラリーが多いためか、骨董通りを歩くと海外の都市にいるかのような気分に浸れる。英国を思わせる施設、フランス・バスク地方を感じるレストラン、イタリアの洗練を凝縮したインテリアショップなど、店に足を踏み込めば“どこでもドア”でそれぞれの都市に行く感覚を味わえる……そう思いながらこの街を歩くと、楽しいだけでなく仕事のヒントも湧いてくるというもの。感覚を刺激する街。こういうところもまた、若手経営者を魅了しているのかもしれない。

海外を感じる代表的な施設は今年(2020年)10月31日にオープンしたばかりのロンドンをテーマにした「THE PLAYHOUSE」。ショーウインドーにはブラックキャブが展示されている。ここは、英国ブランド専門商社とウエディング会社が運営。ファッション、カルチャー、フードに至るまで、英国の最旬トレンドの全てが詰まった情報の発信源だ。

海外を感じたと思えば、生け花の小原流会館やところどころにある昭和を思わせる個人宅や骨董店が、訪れる者の時間軸を過去へと戻していく。

骨董通りのランドマークのひとつ「小原流会館」は1975(昭和50)年竣工の複合ビル。1895(明治28)年創設の生け花の流派・小原流の拠点。

“港区ブランド”を下支える高級住宅地としても知られる

1本裏道を入ると、閑静な住宅街が。

小原流会館を過ぎると、一気に住宅街としての雰囲気が強くなってくる。骨董通りのわき道を見ると、個人の邸宅が多い。その代表といえば、芸術家・岡本太郎(1911〈明治44〉- 1996〈平成8〉年)の邸宅だろう。

岡本太郎は南青山に1954(昭和29)年から42年間暮らし、精力的に作品を作り続けた。彼のアトリエは現在「岡本太郎記念館」として公開されている。実際に使用していた道具や作品も展示されており、当時の邸宅の趣も感じられる。

アトリエの設計はル・コルビュジエの弟子として知られる坂倉準三。ちなみに館内のカフェ「ア・ピース・オブ・ケイク」は村上春樹が命名したことでも知られている。

岡本太郎記念館を通り過ぎ、南青山のもう一つのランドマーク「根津美術館」に向けて歩く。だんだんと、邸宅街にふさわしいハイエンドなインテリアショップが増えてきた。

ソファが有名なドイツの家具ブランド「ロルフベンツ東京」や、システム収納で知られる「アルフレックスジャパン・モルテーニ東京」などが入った施設。このあたりには、高級家具ブランドの日本旗艦店が多い。
駐日外国人や富裕層が愛用するドイツの家電ブランド「ミーレ」の路面店も南青山にある。

五感を満たす街である南青山のもう一つのランドマークといえば、ジャズの聖地でもある「ブルーノ―ト東京」。ニューヨークの「ブルーノート」の支店として1988(昭和63)年11月に開業した。ヘレン・メリルや和田アキ子など、国内外の有名アーティストが公演を行っている。

余談だが、音楽に関する話として、かつて骨董通り沿いに「パイド・パイパー・ハウス」という輸入レコード店があったのをご存知だろうか。常連に有名なアーティストが名を連ね、村上春樹や田中康夫の小説にも登場している。1989(平成元)年に閉店、14年の歴史に幕を下ろしたが、その後タワーレコード渋谷店内に復活。現在も根強いファンに支えられている。

ファッションや骨董だけではなく、常に時代を賑わせてきたカルチャーの発信地であったことが、街の歴史を紐解いていくと、よくわかる。

「ブルーノ―ト東京」は骨董通り沿いで創業し、のちに現在の場所に移転した。住宅街の表通りにあり、街に溶け込みながらも入り口付近にニューヨークの空気感を漂わせる。

国宝をコレクションに持つ美術館

御幸通りに向かって進んでいくと「根津美術館」が見えてきた。第二次世界大戦以前からの歴史を有する日本では数少ない美術館のひとつだ。国宝や重要文化財等を含む東洋古美術を展示しており、創設者は東武鉄道のオーナーであった根津嘉一郎氏。この美術館は根津氏の邸宅を開放する形式で1941(昭和16)年に創設された。1945(昭和20)年に戦災に遭うも1954(昭和29)年に再建。この頃から南青山に骨董店が増えたのだという。

現在の根津美術館の外観。東洋の古美術品コレクション全4643点を所蔵。国宝も多く、「燕子花図」(尾形光琳筆)、「那智滝図」などでも知られている。
南青山は戦前から駐日外国人や富裕層が多く住んでいる。ヴィンテージマンションが多いのも特徴だ。
根津美術館周辺は低層の邸宅が多い。

ハイブランドがひしめく、御幸通りへ

根津美術館を過ぎ、御幸通りに入っていく。戦前に昭和天皇が明治神宮へ“行幸”するときの通りとして整備された道路だ。現在は、国内外のブランドの旗艦店が多いファッションストリートとなっている。この通りに1970年代に進出したのは三宅一生や山本耀司、川久保玲など。以降、日本のアパレル業界をけん引するデザイナーたちもこぞってオフィスや店舗を構えてきた。

ブランドは店舗デザインや建物でも個性を表現している。歩いているだけで、その世界観を感じることができる。

斜め格子とガラスの外観が印象的なプラダ青山店の建物。スイスの建築ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンによる設計。

東京オリンピックを手掛けたデザイナーの外壁を発見!

ここから、御幸通りを折れて赤坂方面に向かっていく。邸宅街の中に緑の気配を感じながら進んでいくと青山墓地に行きあたる。凝った造りの邸宅も多く、建物そのものがアートのようだ。歩いていると好奇心が刺激される。印象的な邸宅に誘われるように、さらに外苑前に向かって歩いていく。

この建物のタイルを手掛けたのは、2020年夏季オリンピック・パラリンピックのエンブレムを手掛けた野老朝雄(ところ あさお)氏だそう。
この建物のタイルを手掛けたのは、2020年夏季オリンピック・パラリンピックのエンブレムを手掛けた野老朝雄(ところ あさお)氏だそう。
南青山から外苑前に向かうと、南青山が高台にあることがわかる。右側の工事中のエリアは、再開発中。かつて大規模なホテルがあった場所だ。

近くに木組みが印象的な建物があった。ここは2009年創業の台湾のパイナップルケーキブランド「サニーヒルズ」の日本旗艦店。経営は台湾の半導体商社AITの創業者・許銘仁氏だ。この店舗は2013年に竣工し、建物の設計は隈研吾によるものである。

南青山の「森」をイメージした、隈研吾設計の建物。店舗では台湾の本店同様のサービスが受けられる。渡航禁止の今、台湾気分を味わいに訪れる人も多い。

南青山から坂を下っていくと、外苑西通りにぶつかった。この通りも“高樹町通り=骨董通り”のように、別名がある。南青山三丁目交差点から霞ヶ丘団地交差点にかけてを「青山キラー通り」と言うのだ。

通り沿いには「キラー通り」の看板が。
かつて、「青山ベルコモンズ」があった場所には、複合ビル「the ARGYLE aoyama(ジ アーガイル アオヤマ)」が立つ。

キラー通りの愛称の名付け親は日本を代表するデザイナー、コシノジュンコ。1966(昭和41)年、ブティック開業時に青山墓地に面した道だということで、冗談半分に「キラー通り」と案内状に書いたところ、定着してしまったという説がある。

このエリアからは、港区北青山、渋谷区神宮前になる。この街も歩いていると、家具店、生花店などの名店があり、邸宅も多く落ち着いた佇まいを見せている。

最先端とヴィンテージが同居し、常にイメージを変化させる刺激的な街

2つの通りを中心に歩いた南青山は、ハイブランドの旗艦店など目に入るものの多くが最先端。しかし、昔ながらの骨董店や歴史ある美術館もあり、路地を入れば邸宅街やヴィンテージマンションも静かに控えている。

定番と最新の同居する街は、感性の高いアーティストやクリエイター、経営者などの五感を刺激し、そこから新たにカルチャーが生まれ、世に広がっていく。これからも南青山は人を惹きつけてやまない注目のエリアで在り続けるのだろう。

南青山の散歩を終え、次回は国道246号より北のエリアである、北青山や神宮前を歩いてみたい。

参考資料・文献

港区公式ホームページ
▶︎https://www.city.minato.tokyo.jp/

小原流会館
▶︎https://www.ohararyu.or.jp/kaikan/index.html

青山表参道商店会
▶︎http://www.aoyama-omotesandou.com/history/

岡本太郎記念館
▶︎https://taro-okamoto.or.jp/

ブルーノート東京
▶︎http://www.bluenote.co.jp/jp/

パイドパイパーハウス
▶︎https://twitter.com/PiedPiperHouse

根津美術館
▶︎http://www.nezu-muse.or.jp/

青山キラー通り商店会
▶︎http://www.kilakila.info/

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