「シロガネーゼ」で広く注目された街
白金・白金台という地名を聞くと、「シロガネーゼ」という言葉を思い浮かぶ人も多い。この言葉は女性向け月刊誌「VERY」が1998年に作った言葉だ。ミラノに住む「ミラネーゼ」をアレンジしたもので、白金に住む専業主婦を指している。当時は、バブル景気の残滓があった。加えて2000年に南北線の白金台駅と白金高輪駅が開業することもあり、不動産業界とマスコミが街をブランド化していった。瞬く間に、白金エリア全体に、富裕層が住む街というイメージが定着した。
古くから東京に住む層に、白金エリアのイメージを聞くと、「アカデミック」「公園が多い」「邸宅街」などの言葉が返ってくる。というのも、高台には、聖心女子学院があり、周辺には北里研究所、国立科学博物館附属自然教育園、東京大学医科学研究所などの施設があり、今なお個人及び企業が私邸として所有している邸宅も多いからだ。
戦前から代々この地に住んでいる、曽祖父が日本海軍の将校だという50代の男性に話を聞くことができた。「ここは、しろがね、ではなく、しろかねと読む。子どもの頃は公園だらけで遊ぶところは不自由しなかった。シロガネーゼブームのときは、あっという間に薄っぺらい飲食店やブティックができたけれど、すぐになくなって、今は落ち着いた。そのことからもわかるように、この街は、マスコミがイメージを作って、消費の舞台にさせようとしても、時間が経てば元に戻る。これは、街に揺るぎない文化風土があるからだと感じる」と語る。
白金台駅から、聖心女子学院に向かい、目黒通りを歩いていると、港区立郷土歴史館を含む「ゆかしの杜」の威風堂々たる建物が目に入る。これは、1938(昭和13)年竣工の、公衆衛生院だった建物だ。国民の保健衛生に関する調査研究及び公衆衛生の普及を目的に国が設立した機関であり、 港区指定文化財でもある。ゴシック調の外観が印象的で、隣接する東京大学医科学研究所と対になっている。建物の内部にも、寄せ木細工など細部にわたる当時の職人の技が残されており、建築好きを現在も魅了している。
昭和初期の美しい建築を見学し、目黒通りを1本裏に入る。それだけで、低層の住宅街が広がり、シンとした緑の香りに包まれる。この、凛とした雰囲気は、江戸時代に大名屋敷があったからであろうか。かつて、ここに外国人や財界人などの邸宅が多かったことが雰囲気からもわかる。
街の歴史を物語る、白金氷川神社
街の歴史を知るヒントは寺社仏閣にある。邸宅街で知られる三光坂を上がり、右手にあるのは、港区最古の神社・白金氷川神社だ。境内の掲示によると、今から千年以上前の白鳳年間(飛鳥時代)に、「白金邑の総鎮守の氏神様として建立せられた」とある。1945(昭和20)年4月の空襲で焼失し、現在の建物は、1958(昭和33)年のものだという。
白金エリアの歴史をひも解くと、室町時代に柳下上総介という豪族が開墾。彼は銀(しろかね)を多く所有しており、「しろかね長者」と呼ばれ、それが町名の起源になったのだという。古地図をひも解くと、「白銀村」と表記しているものもある。街の起源に豊かなイメージがあることも、縁起をかつぐ人が多い財界人や富裕層を惹きつける要素になっているのかもしれない。
アカデミックな施設が、街の高尚な雰囲気を作っている
神社に参拝した後は、北里大学白金キャンパスに向かい、庶民的な商店街へと歩みを進めていく。
左には、蜀江坂(しょっこうざか)というゆるやかな傾斜の坂がある。白金4丁目と6丁目の境界となっており、聖心女子学院のレンガ塀が見える。坂の名前は、明治期に紅葉が美しかったことから、紅葉で知られる中国の蜀江にちなんでいる。当時の知識人には漢文が必須であり、その教養を披歴したあとがうかがえる。
明治坂を下り、プラチナ通りから白金台エリアに入っていく
プラチナ通りに抜ける坂が、明治坂だ。坂上は高級住宅街が広がっており、大きなマンションが増えてきたことを感じる。明治坂という名前は大正末期から呼ばれているようだ。道路拡張で、つなげたのであろうか、かなりの急坂になっている部分がある。
坂を抜けると外苑西通りに出る。目黒通りまでの区間は、いわゆる「プラチナ通り」だ。銀杏並木沿いにおしゃれなカフェ、レストラン、ブティックが軒を連ねている。15年ほど前までは、週末になると高級ベビーカーを押す若夫婦が大挙していたというが、今は静かな大人の街としての表情を見せている。
狂騒を経て洗練されたこの通りには、美意識が高い人から支持されるお店も多い。その代表格ともいえるのが『雨晴』(あまはれ)だ。店内には日本各地から店主の審美眼で選ばれた、器や工芸品などの生活雑貨が並ぶ。気鋭の作家の展覧会も多く、多くの人を魅了している。
「雨の日も晴れの日も、心からくつろげる暮らしがコンセプトのブランドです。使いやすい食器や工芸品を扱っています。9月11日~9月22日の期間に沖縄の陶芸家・宮城正幸さんの展覧会が開催予定です」(主人・金子憲一さん)
プラチナ通りにはほかにも、古城のようなレストランや、フランスの老舗カジュアルブランドの旗艦店、隠れ家のようなワインバーや和食店などが多数存在する。特に飲食店やギャラリーは入り口がひっそりしており、目立たないことが多いが、いずれも心地よくもてなしてくれる。大人がくつろげる店を探しに、この通りを探索してみるのも楽しいかもしれない。
目黒通りから、白金長者の館跡・東京都庭園美術館へ
東京に古くから住む人は、異口同音に「白金のあたりは、かつて自然が豊かだった」と言う。今でも、大きなガマガエルや青大将の姿を見かけることもあるという。おそらく、それらの生き物は、国立科学博物館附属 自然教育園に生息しているのであろう。おそらく江戸時代から生きている化け蛙かも……と思うのは、ここが前出の白金長者・柳下氏の館跡だからである。現在もその跡は残っており、公園内の尾根筋に土塁が残されている。公園内を歩くと、谷や崖があり、城を構えるのに適していることがわかる。
往古から残存する自然植生がすばらしく、野鳥や昆虫なども多い。子どものみならず、訪れる研究者が多いというのも納得だ。
旧高松藩主松平讃岐守下屋敷跡に立つ、東京都庭園美術館へ
東京を代表する洋館のひとつが、東京都庭園美術館だ。1933(昭和8)年築の建物が国の重要文化財に指定されていることでも知られる。旧朝香宮邸であり、大正末期のアール・デコ様式を取り入れている。フランス人芸術家アンリ・ラパンが主要な部屋の設計をし、建築は宮内省内匠寮の技師・権藤要吉が担当。日仏のデザイナー、技師、職人が総力を挙げて作り上げた芸術作品のような建物だ。
その空間を生かした展覧会、緑豊かな庭園が日常的に楽しめることも、白金台エリアに住む魅力だろう。現在は、朝香宮邸が生まれた1930年代に焦点を当てた展覧会、「東京モダン生活(ライフ)」が行われている。甚大な被害をもたらした関東大震災を経て、帝都復興の掛け声のもと近代都市としてリスタートした東京の時代の空気がわかる作品が多い。
絵画、家具、写真、雑誌、衣服など分野を横断する、東京都が所有する多彩なコレクションから、東京の文化の深淵を感じよう。
白金・白金台エリアは、近代東京のハイソサエティ層の生活と文化を今に伝えている部分が多い。この街の住人になれば、その歴史流れの一部になるのかもしれない。
Spot information
雨晴
東京都港区白金台5-5-2
▶︎https://www.amahare.jp/
東京都庭園美術館
東京都港区白金台5-21-9
▶︎https://www.teien-art-museum.ne.jp/
「建築をみる2020 東京モダン生活(ライフ) 東京都コレクションにみる1930年代」
会期: 2020年9月27日まで
参考資料・文献
港区公式ホームページ
▶︎https://www.city.minato.tokyo.jp/
港区立郷土歴史館
▶︎https://www.minato-rekishi.com/
国立科学博物館附属 自然教育園
▶︎http://www.ins.kahaku.go.jp/
東京都庭園美術館
▶︎https://www.teien-art-museum.ne.jp/
『東京の道事典』 (吉田 之彦、樋口 州男 、武井 弘一、渡辺 晋編 東京堂出版)