出会いの始まりは、10代後半の日本脱出

1948年創刊という歴史ある総合生活雑誌『暮しの手帖』。あるとき出会った同誌創刊者の一人から編集長を託され、9年かけて部数倍増の約束を果たした松浦弥太郎氏。それを区切りに職を辞し、畑違いのウェブの世界に転身、2015年ウェブメディア「くらしのきほん」を立ち上げた。現在はこのメディアを運営するスタートアップの経営に携わるほか、執筆・出版活動や他の企業のさまざまなプロジェクトにディレクターとして参加するなど、幅広く活躍している。
経歴を辿ると、節目節目に大きな出会いがあって、それを大切に育てた結果が今につながっているようだ。最初の仕事が店舗をもたない書籍商だったのも、10代後半に単身渡米し、書店巡りをしているうちに出会った人たちの影響が大きかった。
その松浦氏が何よりも大切にしているのが、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(以下、「ライ麦畑」)とジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』(初の日本語訳の邦題は『路上』、以下、「路上」)の初版本だ。


松浦氏は高校を2年で中退している。それは、学校をはじめ当時の社会に抱いていた違和感、理不尽なことに対する義憤、多くの疑問や不満が解消されない焦燥が渦巻く環境からの脱出だった。蛮勇をふるってのドロップアウトだったが、それでは自分は何をしたいのか、何ができるのか。思い悩んだ末に今ここにある現実とは違う世界、「ここではないどこか」へ行けば、そのきっかけが見つかるのではないかと考えた。出した答えは日本脱出。
「ここではないどこか」をさがして
学生時代、松浦氏は本や雑誌が好きでよく読んでいた。インターネットもスマホもない時代、雑誌は当時の若者たちの最大の情報源だった。「ここではないどこか」も、雑誌で知ったアメリカだった。そのために必死にアルバイトをしてお金を貯め、一路サンフランシスコへ。そこには、真っ青な空、降り注ぐ太陽、明るい未来があるはずだった。
ところが、実際に初めて訪れたアメリカ、サンフランシスコにそれはなく、あったのは絶望の連続だった。宿泊先のダウンタウンは薄汚れ、道路は穴だらけ。思い描いていた「花のサンフランシスコ」は、富裕層が暮らす限られたエリアだけだった。英語は片言、友達も知り合いもいない、土地勘もない。救いは英語が話せなくても時間が過ごせる本屋だった。
サンフランシスコは文学と縁の深い街として知られ、書店が多かったことも幸いした。松浦氏は毎日のように書店通いを続けた。
「10代の終わりに渡米して何かを得てきたと言うと聞こえはいいのですが、実は嫌な思い出が結構多かった。とはいえ、後に大きな実りとなる出会いや刺激的な体験もあり、今思い起こせば貴重な体験だったことは間違いありません」
そのときの自分自身のありさまであったり、存在そのものが、この2冊の本の中にあった。

「ライ麦畑」も「路上」も、執筆されたのはほぼ同時期(1951年、ただし出版時期はそれぞれ異なる)。当時のアメリカ社会は、急激な経済成長により家電製品や自動車が広く普及して豊かな生活を謳歌する一方で、冷戦体制の緊張が高まっていくという複雑な時代で、そこで求められたのは安定と秩序だった。両親がいて子供がいる明るい家庭、健全な暮らし。例えば『パパは何でも知っている』など、当時人気だったホームコメディは我が国でも放送され、多くの日本人がそのモダンで豊かな暮らしぶりを羨望した。しかし、「ライ麦畑」も「路上」も、そうした当時主流とされたアメリカの上っ面だけの価値観とはまったく異なる、というよりも激しく対立する世界観の吐露だった。
松浦氏が高校をドロップアウトした時代の日本も、いい学校を出ていい企業に就職することが理想とされ、それ以外の選択肢はほとんどない社会だった。「子供と大人しかいない社会だった」とも松浦氏は言う。子供からある日突然大人になれと迫られる。自分が何者であって、何者になるのか、逡巡したり模索する猶予は与えられない。そのとき抱いていた反抗心と、初めて訪れたアメリカで感じた絶望が混ざり合い、この2つの物語の内容を初めて全身で理解することができた。ちなみに、松浦氏は渡米前に2冊とも読了していたが、そのときはどこか別の世界の話として実感がわかなかったそうだ。
サリンジャーの「ライ麦畑」は、放校処分となった高校生が、数日間の出来事を一人語りする、いわばモノローグだが、行き場のない心の揺れ動きや、自分が変わっていくことに対する戸惑いや不安が表現されており、松浦氏の初渡米時の絶望と見事に共振した。

松浦氏がその後始めた書籍商の世界では、現代文学の初版本は「モダンファースト」というカテゴリーに入るという。「ライ麦畑」の初版本はそのなかでも、書籍商やコレクターからするとだれもが最終ゴールとする、いわばバイブルのような一冊だ。これは20歳のときに、ニューヨークの古書店仲間の先輩から「この仕事を続けるなら、この一冊は君も持っていたほうがいい。お金は払えるときでいいから」と言われて譲ってもらったものだという。
「そのとき、初めて自分が認められた、仲間に入れてもらえたと感じましたね。いずれにしても、『ライ麦畑』は文学としてという以上に、あの時代なかなか声を上げることができなかった若者の心情を表現したという意味で、僕は世界を変えた一冊だと思っています」
一方、ケルアックの「路上」はペーパーバックの初版本だ。「ハードカバー版の初版本も持っていたのですが、なぜか『路上』はこのペーパーバック版のほうが好きです。ジーパンのポケットに入れて持ち歩くアメリカらしさに味がある」と松浦氏。ぺーパーバックだけにかなりの部数が出ているはずだが、持っている人がなかなか手放さないらしく、めったに市場に出てこない貴重なものだという。松浦氏はなんとこれを、サンフランシスコのとある教会のバザーに出品されていたのをたまたま発見して手に入れたそうだ。

ちなみにハードカバーの初版本は前年の1957年に出版されている。
「路上」は、ケルアックがニール・キャサディ、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズなど、ビート・ジェネレーションを代表する人物たちと車やヒッチハイクで北米大陸を放浪する、まるでロードムービーを見ているかのような物語だ。これも松浦氏は渡米前に日本語訳を読んでいたが、やはり古書店仲間から、ケルアックは原書で読まなければ真髄はわからないと言われ、苦手の英語を苦労して何度も繰り返し読んだという。

「原書を読んだらわかりましたね。これは音楽なんです。句読点がない。ジャズのインプロビゼーションと同じで文章が延々と続く、そのリズムがみずみずしいというかまさに画期的でした」
「絶望は終わりじゃなく、すべての始まり」

「絶望は終わりではなくすべての始まり」だと松浦氏は言う。どんな発明もだれかの絶望があって、それを乗り越えようとして生まれたものではないか。日々の暮らしや仕事の中で、人はさまざまな絶望を体験する。氏はその絶望を力にして前に進む、そこを出発点にすることを自分の生き方の基本にしているのだと言う。それを気づかせてくれたのがアメリカでの体験であり、この2冊の本だった。だから2冊はいつも手の届くところに置いてある。
「この2冊の本は、お前はどう生きるのか、今やっていることは楽しいのか、と常に自分に問いかけてくるし、そうやって僕を励まし続けてくれている。人生に欠かせない存在なのだと思います。例えば火事になったら何を持って逃げるかというと、もちろん印鑑や通帳なんかじゃなく、間違いなくこの2冊でしょうね」
「世の中には美しいモノ、魅力的なモノはたくさんあります。そこには苦労して手に入れ使ってみた人にしかわからない秘密があり、自分にもそういう体験をしたいと思うこともあります。それは洋服であったり車や家具であったりするのですが、モノには流行りすたりがあるし、自分自身の好奇心が時間の経過とともに変化して、終わってしまうものもあります。しかし、この2冊の本は、自分の絶望の体験や出会いや縁があって初めて手にできたもので、お金では決して買えないもの。自分にとっては基本というか、もっと言うと分身のようなものなのです」
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1965年東京生まれ。1992年オールドマガジン専門の書籍販売「エムカン(m&co.booksellers)」を立ち上げる。2000年トラックによる移動書店m&co.traveling booksellersをスタート。2002年セレクトブックストアCOW BOOKSをオープン。2006年『暮しの手帖』編集長に就任。同誌編集長を9年間務めたのち、ウェブメディア「くらしのきほん」を立ち上げる。2017年「おいしい健康」共同CEOに就任。「正直、親切、笑顔、今日もていねいに」を信条とし、暮らしや仕事における楽しさや豊かさ、学びについての執筆やラジオ出演、講演会などを行う。
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